牧師の松原です。

神様のこと
教会のこと

いろんなことを思いつくまま書いていきますので、みなさん気軽に書斎を覗いていってください。
牧師の書斎
牧師プロフィール

松原 洋満(まつばら ひろみつ)

1960年、岐阜県生まれ。
筑波大学で心理学を専攻。 その後、東京キリスト教短期大学(現、東京キリスト教大学)で神学を学ぶ
アメリカ、ゴードン・コンウェル神学 大学院(修士)、トリニティー国際大学(博士)でキリスト 教教育を学ぶ。 大学院の講師。2児の父。
趣味;クリスチャン・ミュージックを聞くこと
著書;「楽しい!発見&体験ゲーム‐あなたが変わる・みんなが変わる‐」
☆牧師からのメッセージ(MENU)☆

キャンプの恵み(73)
「知る」とは愛すること(72)
世界最高のブランドとは(71)
ずーっと ずっと だいすきだよ(70)
KY式キリスト教(69)
旅立つきみへ(特別に旅立たないあなたへも)(68)
あなたの進路・使命を知るには(67)
感謝をみいだし、拾い上げ、祈る2008年を(66)
「偽」の中の真実な輝き(65)
わが家の秋に思い出される恵み(64)
霊的飢えかわきを!(63)
人は変われる?!(62)
世界宣教大会2007の恵み(61)
イメージ 変えられますか?(60)
バックナンバー(1〜59)
     


☆牧師からのメッセージ(73)☆

キャンプの恵み

2008年はのぼりと教会の歴史の中で、記憶に残るすばらしい恵みの年となりました。
今年の夏の松原湖バイブルキャンプに、のぼりと教会から総勢20名が参加したのです! 
多くの恵みを受けて帰ってきました。その恵みをいくつかまとめてみます。

1.現代の「エデンの園」の経験
キャンプの生活は、エデンの園の生活と共通するものがあります。神様の造られた自然の中、いつも神様を身近に覚え、
すべての人も物も出来事も神様の恵みであることを感じることができるのです。
キャンプは普段の生活とはまったく異なる環境で、神様のことに集中できます。
バイブルキャンプに行けば、朝起きてから夜寝るまで、寝ている間も、神様が身近なのです。
神様の造られた自然に囲まれ、食事も遊びもスポーツもすべての活動を神様が与えてくださっていることを感謝できます。
もちろん、聖書のメッセージもふんだんに聞くことができ、思いっきり賛美できます。
キャンプは現代において「エデンの園」の経験ができる場です。

2.霊的訓練の場
今回は、生まれて初めて親元を離れてキャンプに参加した子どもたちもたくさんいました。
(私の小2の息子も初めてキャンプに行きました。)これは大切なことです。私たちは生まれた家庭の愛の中で育てられ、
徐々にそこから自立していかなければなりません。
それは決してたった一人になることではなく、神様だけはどんな時にも共にいてくださるという確信、安心をいただき、
困難を乗り越え、自立していくのです。親も神様に信頼して、子どもたちを手放していく訓練になります。
また、キャンプでは、いつもの友達だけではなく、初めて会った人たちと主にあって共に生活することが求められます。
これも私たちにとって大切な経験になります。
さらに、カウンセラー、キッチン、グランドなどで奉仕をする人にとっては、主にあって人に仕えること、愛すること、
育てることなどを経験したことでしょう。こうしたことを通して、イエス様の思いがよくわかるようになり、聖書の言葉の
深い意味がわかるようになっていきます。
このようにキャンプは貴重な霊的訓練の場を提供してくれています。

さらに多くの方々がバイブルキャンプに参加して、ひと回りもふた回りも成長して帰って来られることを期待しています。
そして、その恵みによってのぼりと教会が祝福にあふれていくことを信じています。

☆牧師からのメッセージ(72)☆

「知る」とは愛すること

みなさんはどんな高校時代を過ごしましたか?ちょっと、思い出してみてください。
楽しい思い出、いやな思い出、いろんな思い出があることでしょう。
私の高校時代は知識の暗記に明け暮れ、成績だけで人を評価する教育にうんざりしていました。
そのおかげで教育に関心を持つことはできましたが…。
あれから32年、娘が高校2年生になって、学校でやっていることを聞くと、私の時代とほとんど変わらないのです!唖然!ぼう然!
ここには、一貫した学習観、「知る」ということをどう考えているかが、はっきりと表れているのです。

最近、P. J. パーマー「教育のスピリチュアリティ」という本が出版されました。
これは私がトリニティ神学校にいた時、博士課程の教科書の1冊でした。
この本から教育や霊性の本質について多くのことを教えられます。以下はそのほんの一部です。

私たちが受けている教育は客観主義に基づいています。その特徴は、

1.知る対象物と距離を置く。世界を分解し、距離を置いて知ることで、人間が操作できるようになることを目指す。
2.私たちを孤立化させる。客観的知識を教師から生徒へ1対1で伝えようとする。それ以外の関係性は要求されない。
非共同的であるだけでなく、反共同的である。
3.競争原理に基づく。生徒は間違わないことをお互いに競争させられ、最も適した者だけが生き残るようになっている。
「教育を受けた人たちの多くに、交わりの関係に入る能力、共同性を創り出そうとする能力が欠けていることは不思議なことではない。
彼らは競争の習慣を人生のあらゆる関係の中に持ち込んでいるのである。」(p.91)

ところが、神様は私たちに望んでおられる「知り方」はこういうものではなく、知ることが愛することになることです。
この愛と知の密接な結びつきは、聖書全体を通して見られます。
聖書では、「知る」を意味する代表的な言葉は、夫婦関係の意味で使われています。
その同じ言葉が、神様について知ることや神様が造られた世界を知る意味でも用いられています。

聖書は知るということを「人格的なかかわり」としてとらえているのです。
「知る」ということは、真理である神様の性質を反映して、私たちを「人格的なかかわり」へと招き入れるのです。
「知る」ことは、世界が最初に造られた時の、世界が本来そうあるべきところの密接なつながりを再創造したいという情熱なのです。
私たちが知られているところの霊と同じ霊においてこの世界を知るために知性を用いることなのです。

知ることは愛すること、知ることは人格的交わりに招き入れられること…こういった真理の性質を知るなら、日本の教育も
根本的に変わるのではないかと期待します。 
何よりも私たちと真理である神様との人格的関係が、「知る」ことの一番土台なのです。
学校で学んでいる人たちも、大人の方々も、神様が望んでおられる本当の意味での「知る」こと、
つまり愛すること、人格的なかかわりを目指していきましょう。
うわべの知識ではなく、本当に「知る」豊かさの中を生かされていきましょう。

☆牧師からのメッセージ(71)☆

世界最高のブランドとは

みなさんは、どんな世界ブランドを知っていますか?
2007年のトップテンは、
@コカ・コーラ、Aマイクロソフト、BIBM、CGE、Dノキア、Eトヨタ、Fインテル、Gマクドナルド、Hディズニー、Iメルセデス・ベンツ
です(ビジネス・ウィーク2007.8.6)。けっこう、身近なものが多いですよね。

少し前から経営学の分野では、「ブランド戦略」ということが話題になっていて、数多くの本が出版されています。
多摩大学教授の田坂広志さんが、「ブランド戦略」について大切な点を教えてくれています。

「ともすると、多くの企業は、この『ブランド戦略』の本質を、『広告宣伝を通じた社会的イメージ作り』であると考えてしまいます。
しかし、『ブランド戦略』の本質は、そうした『イメージ作り』ではありません。『信頼形成』です。英語で言えば『トラスト』です。
例えば、『あの企業の製品は故障が少ない』という顧客からの信頼や、『あの企業は、また面白い製品を世に出してくれる』という信頼を
得ること。それが『ブランド戦略』の本質です。従って、『ブランド戦略』とは、イメージ先行の派手な広告宣伝が核となるのではなく、
商品やサービスを通じて顧客との信頼関係を築いていく地道な活動こそが、核となるべきなのです。」
(「これから知識社会で何が起こるのか」p.216)

地道な努力を続けて「信頼」を築くこと。信頼こそがブランドの一番の土台なのです。
ブランドは信頼の結果、誕生するものなのです。
ところで、先ほど挙げた世界のトップブランドは、どれも私たちの生活を快適にしてくれるものですが、
私たちの生死に関わるようなものではありませんよね。けれども、これがないと私たちが死んでしまうものがあるのです。

「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」(詩篇37:5)
「見よ。神は私の救い。私は信頼して恐れることはない。」(イザヤ12:2前半)
「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」(ローマ10:11)

まことの神様こそ、この世の何ものにもまさって信頼できるお方だと私は確信しています。。
主は私たちを罪の滅びから救いへと移してくださいます。
主に信頼し従っていくなら、私たちを通して神様のご計画が成就していきます。
神様に信頼する人は、失望することがありません。

ですから、最高の信頼が最高のブランドにつながるとするなら、まことの神様、イエス・キリストこそが、
世界最高のブランドと言うことができるでしょう。

おそらく高価なブランドを身につけると、何となくそれらしい振る舞いを気にするものでしょう。
だったらなおのこと、イエス・キリストを内にやどす人たちは、どんな振る舞いを期待されるのでしょうか?
私たちは世界最高の信頼に恥じることのないように、信頼される生き方をし、
内なるイエス・キリストが輝く生き方を目指そうではありませんか。

☆牧師からのメッセージ(70)☆

ずーっと ずっと だいすきだよ

のぼりと教会では、5月に母の日・子どもの日親子礼拝をしました。
みなで神の家族としての愛を覚えつつ、「愛を表す」ことを共に考えました。
皆さんは、「愛を表す」とはどういうことだと思いますか?今までどのように愛を表してきたでしょうか?

宇宙の歴史上、一番最初に愛を表してくださったのは神様です。神様は愛そのものです。
まず神様が天地万物を創造してくださったこと、特に人間を神のかたち、つまり神様の本質の一部を表すものとして
創造してくださったことが、そもそも神様の愛の現れです。私たちの存在そのものが神様の愛の現れです。
そして神様の愛を一番よくわかるように示してくださったのは、イエス様です。

「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。
ここに、神の愛が私たちに示されたのです。」(1ヨハネ4:9)。

では、父なる神様はイエス様にどのように愛を示されたと思いますか?
父なる神様はイエス様にはっきりと愛を表されました。たとえば、イエス様が洗礼を受けられた後、天から声がしました。
「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ」(マルコ1:11)。
父なる神様はイエス様に対して、言葉によってはっきりと愛を表しました。

昨年、小学1年生だった私の息子の教科書に、「ずーっと ずっと だいすきだよ」という作品がありました。
一人の男の子がエルフィーという犬に対する思いをつづったものです。
息子は涙が出て音読の宿題をするのが大変でした。その中にこんな文章があります。

「すきならすきといってやればよかったのに、だれも、いってやらなかった。いわなくっても、わかるとおもっていたんだね。」
「ぼくは、…ねるまえには、からなず『エルフィー、ずーっと、だいすきだよ』っていってやった。」
「にいさんやいもうとも、エルフィーがすきだった。でも、すきっていってやらなかった。
ぼくだって、かなしくてたまらなかったけど、いくらか、きもちがらくだった。
だってまいばんエルフィーに、『ずーっと、だいすきだよ』っていってやっていたからね。」

神様の愛は毎晩どころか、いつもあなたのうちにとどまり、どんなときにも、あなたに
「あなたは私の愛する子、私はあなたを喜ぶ」と言い続けてくださっているのです。
神様の愛の言葉を聞き続けましょう。
そして、私たちも愛を言葉で表す人になりましょう。

愛していること、「ありがとう」ということ、「ごめんね」ということを声に出して言いましょう。
子どもたちは聞きたいのです。あなたの口から愛の言葉を。その言葉が聞けるまで、ずっと待っているのです。
どんなに大きくなっても愛の言葉を聞けるまで待っているのです。
親が自分を愛してくれたことを、きちんと自分の耳で聞いて確かめたいのです。
思っているだけではどうしても伝わらないことがあります。
神様があなたに心から言ってくださったように、私たちも言葉によって心から愛を伝えましょう。


☆牧師からのメッセージ(69)☆

KY式キリスト教

最近「KY式日本語」という本がよく売れています。「KY」と聞いて、すぐに「空気読めない」(その場の状況を把握できない)という
意味がわかる人は、現代の女子中高生と会話ができるでしょう。この本の中からいくつか紹介します。

AKY=あえて空気読まない HD=ヒマだから電話する
IT=アイス食べたい CB=超微妙
IW=意味わかんない HW=話題変更
TM=定年待ち OTK=音立てて食うな
3M=マジでもう無理 HT=話ついていけない

こういった言葉遊びは、携帯メールでどんどん広がるそうです。
私も「牧師のメッセージ、IW」なんてメールされないように気をつけたいです。
けれど、きっと1年後にはこういった言葉の意味はほとんどわからなくなっているような気がします。

 実はこういう略語は、ずっと昔から使われていました。有名なものでは、魚でイエス様への信仰を表しました。
これはギリシャ語で「イエス、キリスト、神の子、救い主」の頭文字を集めると魚(イクトゥス)になるからです。
 また、すばらしい宗教曲で有名なJ.S.バッハは、作曲する時、楽譜の最初に「JJ」(ラテン語でJesu juva「イエスよ、助けたまえ」
という意味の祈り)と書いて始め、完成した楽譜の最後に「SDG」(ラテン語でSoli Deo Gloria)「神のみに栄光あれ」)と書いて、
作品のすべての栄光は神様にあることを告白しています。

 この機会に、私も礼拝後の会話文を作ってみました。皆さん、意味を考えてみてください。
「きょうもSSだったね」「牧師KSHDだったよ」「NKYだね」TMな文章でした。(正解はこの文章の最後にあります。)

 先月3月16日は「棕櫚(しゅろ)の日曜日」でした。イエス様が子ロバに乗ってエルサレムに入りました。
そして木曜日に弟子たちと最後の晩餐の時を持ち、ゲッセマネの園で祈りをされ、捕えられ、金曜日に十字架にかけられたのです。
この受難週には、静まってイエス様を十字架につけた私の内にある罪を思い返しました。
そして、イエス様のご愛に感謝しました。

「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を
明らかにしておられます。」(ローマ5:8)

 そして3月23日がイースターでした。イエス様が死からよみがえられたことを皆で喜びました。復活の命が輝く時です。
信じる者たちの内に与えられている永遠の命、永遠の希望を心から感謝しましょう。

1ペテロ1:21「あなたがたは、死者の中からこのキリストをよみがえらせて彼に栄光を与えられた神を、キリストによって信じる人々です。
このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。」

 この信仰と希望を胸に、4月からの新しい歩みを踏み出していきましょう。
(SS=賛美すばらしい、KSHD=花粉症で鼻水ダラダラ、NKY=のぼりと教会よい所、TM=手前味噌)

☆牧師からのメッセージ(68)☆

旅立つきみへ(特別に旅立たないあなたへも)

3月は親しい方々が卒業し、お別れの機会が多い時です。
新しい学校、新しい生活、新しい任地、新しい職場へ向かって旅立って行きます。
のぼりと教会でも中学校へ2人、高校へ1人旅立ちます。
お子さんが卒業を迎えられたご家族、本当におめでとうございます。そしてご苦労さまでした。
神様はご家族の苦労も喜びもすべて知っていてくださいます。
生まれて今日までの日々が、神様とご家族、先生、星の子チャペルのスタッフ、多くの方々に支えられてきました。
こうして迎えた卒業、新しい旅立ちを心から感謝したいと思います。

毎年3月には、のぼりと教会でもピコの会のおともだちとお母さん方が旅立って行かれます。
今年は6組の親子を見送り、これからの歩みの祝福を祈りました。
ピコの会では樋口通子さんの本から私の心に響いた言葉を「はなむけ」として差し上げました。
樋口さんはクリスチャンの絵本作家であり、子育て支援をしておられる方です。神様の恵みを共に味わってみましょう。

「オギャアと生まれたわが子が、まわらぬ口で『カアタン、カアタン』と言いだして以来、
幼い日々は、朝の目覚めから眠りにつくまで一日中、『おかあさん、おかあさん』とまとわりついたものでした。
幼稚園から小学校にかけては、おしゃべりの始めの言葉は、『ねえ、おかあさん…』でした。
中学生や高校生になると、ぬくもりのある声で『おかあさん』と言うときばかりではなくて、
厳しい声で『おかあさんは』、『おかあさんのくせに』と言うことも増えました。
でも、やはり、『おかあさん』『おかあさん』と一日に何度も口にしたのです。
そのたびに、わたしの耳は聞いていたのです。
当たり前のようにあったものが、なくなってはじめてそのものの大切さや価値がわかる、ということがあります。
わたしの耳は、わたし自身が気づくまえに気づいたのです。『おかあさん』という声が聞きたいものだ!と。
『おかあさん』『ママ』こう呼びかける子どもは、母親であるあなたに向かってだけ、この美しい響きの言葉を口にするのです。
しかし、そのことの価値に心をとめたりはしません。子どもが母親に向かって『おかあさん』と言うのは当たり前のことだからです。
でも、子どもとのかかわりの中でもっとも耳に残っている言葉はなんだろうかと考えてみますと、
やはりそれは『おかあさん』と呼びかける我が子の声にちがいないと、わたしはしみじみ我が身を振り返って思うのです。
実に『おかあさん』という子どもの声の中で、何千回も何万回も『おかあさん』と呼びかけられる中で、
わたしは少しずつおかあさんになっていったと言えるのです。
ときどき、娘は電話をかけてきます。わたしが受話器をとって、『はい』と言うと、
娘は『もしもし』とは言わず、『おかあさん』とまず言います。
この一声がとてもうれしく聞けるのです。
別れて暮らすまで、こんなすてきなことに気がつかなかったとは大損をしたと思います。・・・
今、わたしの目に若葉はまぶしく、空は青く、草々は色とりどりのかわいい花を咲かせています。
ちょうちょが飛んでいます。小鳥たちがさえずっています。生命の輝きでいっぱいです。
大自然の美しい営みと、身近な子どもたちの成長を見ていると、創造主でいます神さまは
どんなに小さな生命でもお忘れになることなく、はぐくんでいてくださるのだと思えます。
季節が移り変わり、過ぎゆくように、子どもの明日は今日と同じではありません。
子どもたちをここまで育んでこられたご両親、この本を読んでくださった方の中にも、
むずかしい問題を抱えて子どもを育てておられる方がいらっしゃるでしょう。
子ども自身が悩んでいるかもしれません。でも、今日がずっとつづく、ということはないのです。
いつまでも赤ちゃんのままではありません。いつまでも泣いてばかりではありません。いつまでも反抗期ではありません。
いつか必ず、子ども自身の人生を元気に歩いていくのです。
子どもが育つ、その成長の日々に、出来事に、それぞれの季節に、わたしたちが立ち合える幸いを感謝しようではありませんか。
巣立ちの日は、それほど遠い先ではないのですから―。」 (一部変更)

クリスチャンの樋口さんの子育ての中からの言葉に、たくさんの輝きを覚えました。
今旅立つきみたちも、「お母さん」と呼ぶことのできる恵み、お母さんにたくさん支えてもらいつつ、
共に歩めている幸いに感謝して歩みましょう。
神様の愛を知るお母さん方は、きみたちのために祈り、支え、時には涙し、悩み、悔いたりしながら、
母の使命を果たそうと主と共に歩んでいます。
「お母さん」と呼ぶことのできる日々は決してあたりまえではないのです。
私たちは決して人と人との関係だけで子育てをしているのではありません。
神様の深い関わり、ご愛と憐れみ、赦しと忍耐、慰めと訓戒とによって、ここまでの歩みが守られてきたのだと思います。
親も子も神様を中心として、一歩一歩、主の前に誠実に今を精一杯生かされていきましょう。
それぞれの新しい歩みの祝福を心から祈っています。

ですから、私たちは勇気を失いません。
たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。
今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、
測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。
私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。
見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。
2コリント4:16-18


☆牧師からのメッセージ(67)☆

あなたの進路・使命を知るには

のぼりと教会では、月に2回、若者が集まる「シャロン」というスモールグループがあります。
1月のシャロンは外では雪が降り積もる中、最後に残った5人で、自分の使命は何だろうかと熱く語り合いました。
それで教会の周りの雪は解けた…わけではありませんが。

多くの企業のコンサルタントをしている堀紘一さんが、こんなふうに語っています。

「そもそも、世の中のことなどまったく知らない高校時代に、自分に合っているのかいないのかもわからずに、
大学の法学部とか経済学部とかを選ぶ。大学を卒業して社会人になるときも、自分はどんな仕事をしたいのか明確に
わかっているわけでもなく、知名度や給料などを判断基準にして会社を決める。
なかには将来性があるから決めたという者もいるが、学生に会社の三十年後なんて想像できるわけがない。
その程度の判断で就職したにもかかわらず、ほんとうに自分のやりたい仕事に出合えて満足だ、という人がいたら、
ほとんど奇跡である。むしろ、こんなはずでなかったと思いつつ、最初に入った会社にずっと居続ける人のほうが多い。
彼らの発想は、ほかにやりたい仕事があるわけではないし、転職するにもエネルギーがいるし、
サラリーマンなんてこんなものだから、といった消極的なものが大半である。
もっとも、戦後サラリーマン社会では、それが正しい生き方だった。」(「会社が放り出したい人・一億積んでもほしい人」109-110)
そしてこれからの時代は、自分の天職や適職を探し求める時代になると述べています。

ここにもあるように、私たちはそれほど簡単に「これが神様から与えられた私の使命だ」と言えるものに出合うことは
少ないかもしれません。(もちろん例外もあるでしょうが。)けれども、聖書が自分の使命がわかるヒントを教えてくれています。

神様はあなたにしかできない地上で果たすべき貴重な使命を与えてくださっています。
そしてその使命を果たせるように、賜物を与えていてくださるのです。
それで、神様からあなたに与えられている賜物を知るための3つのヒントを差し上げます。

@やっていてやりがいがある。喜びがある。
もちろん忍耐が必要なことも多いでしょうが、神様は多くの場合、私たちにやりがいのない、
喜びのないことをずっと続けることを求めてはおられません。

A結果が出る。
これは企業の成果主義のように、神様が結果だけで判断されるということではありません。
神様からの使命はあなたが果たせるから与えられているのです。ですから誠実に取り組めば、必ず何らかの結果が出ます。

B教会が認める。
神様からの賜物は個人ではなく、教会に与えられたものです。
ですから本当の賜物、使命は教会の誰もが認めるもので、みなの益となるものです。

「さて、賜物にはいろいろの種類がありますが、御霊は同じ御霊です。
奉仕にはいろいろの種類がありますが、主は同じ主です。
働きにはいろいろの種類がありますが、神はすべての人の中ですべての働きをなさる同じ神です。
しかし、みなの益となるために、おのおのに御霊の現れが与えられているのです。」1コリント12:4-7

☆牧師からのメッセージ(66)☆

感謝をみいだし、拾い上げ、祈る2008年を

今年度の神様の祝福のことばとして、祈りのうちに詩篇9:1-2を選びました。

「私は心を尽くして主に感謝します。あなたの奇しいわざを余すことなく語り告げます。
私は、あなたを喜び、誇ります。いと高き方よ。あなたの御名をほめ歌います。」

感謝は神様が私たちにくださった命の泉です。これは誰のためでもありません。
感謝は私たちが少しでも幸いに、豊かに満たされて生きるために、どうしても必要なものなのです。
感謝は主から私たちに贈られた生きるすべです。私たちが感謝と共に生きるなら、私の周りの人も教会も、
感謝に満たされ、強く歩んでいくことができます。

感謝は、試練や苦しみを正しく乗り越えて成長していくためにどうしても必要です。
苦しみや試みの中で、感謝することはむずかしいかもしれませんが、主が望まれる方向に目を向けられないと
私たちは弱いままで終わってしまいます。いつも不安定で何か満たされない信仰の歩みになってしまいます。
きびしい試練、試み、苦しみ、悲しみのまっただ中で、生身の人間は、まったく感謝できないこともあるでしょう。
感謝したい、したほうがよいと思っても、できないという時だって、人生の中で幾度もあるでしょう。
そんな時は、そのままの自分を神様の前に差し出していいのです。
あるいは、祈りの友に自分の代わりに祈ってもらうこともよいと思います。
とにかく小さな感謝をみいだし、拾い上げ、祈り始めるとよいと思います。
そうするなら、神様は何かを始めてくださいます。

「この世にはあなたを暗い気持ちにするのに充分な悲しみがあります。
もしあなたが満たされ、感謝を知る人でありたいと望むなら、あなたを喜ばせるのに充分な光があります。
あなたの悲しみを数えることによって、祝福を失うよりは、あなたの祝福を数えることによって、
祝福をふやしていくこともできるのです。」(荒野の泉第2編より)

ローマ12:15には、「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。」とあります。
ドイツのことわざに「泣く者と共に泣くなら悲しみは半分になる。喜ぶ者と共に喜ぶなら喜びは2倍になる」とあります。
主への感謝と喜びを余すことなく語り継げ、誇ることは、私たちを強く生かしてくれるのです。

アンゼルム・グリューン修道院院長は、次にように語っています。

「神様はあなたの人生に新しい味わいを贈りたいのです。神様はすべてのことを新しい目、感謝の目で見ることを
あなたに教えたいと思っています。それがわかれば、あなたは新しい朝を経験することができます。
・・・感謝は、あなたの心を広くし、その心に喜びを与えます。あなたは怒りとその原因に縛りつけられません。
物事を否定的に見れば見るほど、その否定的な印象は体験を通してさらに強められていきます。」(「50の天使」より)

2008年、私たちもいつも神様によって生かされ、周りの人たちによって生かされていることを意識して、
感謝を余すことなく語り告げ、主を誇ることのできる登戸教会として歩み、成長していきましょう。


☆牧師からのメッセージ(65)☆

「偽」の中の真実な輝き

「偽」。2007年の世相を表す漢字として選ばれた一字です。
ひき肉、赤福、船場吉兆、年金記録、政治資金など、偽りに次ぐ偽りが見つかりました。
白い恋人が賞味期限をごまかして「古い恋人」になっていたり、一部のマクドナルドでサラダの
日付を貼り替えていて「マック、どうなるど?」と心配をかけました。
英会話学校のNOVAがつぶれて「駅前休学」にもなりました。
うそやごまかしがあまりにも多く、何を信じたらよいのか、わからなくなった1年と言われます。(アエラコピーより)

先日まで、のぼりと教会はイルミネーションで美しく輝いていました。
夕方、教会の前を歩く親子の声がたまに聞こえてきました。
「きれいだね」「そうだね」「さわっちゃだめだよ」(きっと子どもが天使像に触ろうとしているようです。)
こういう会話が聞こえてくる時には、私はできるだけ玄関のドアを開けないようにしています。
美しい教会のイメージを、私が壊すといけないですから・・・

偽りがはびこる中、教会のイルミネーションはますます輝きを増しているように見えました。

「この方(イエス・キリスト)にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」(ヨハネ1:4-5)

闇が深ければ深いほど、光は明るく輝きます。うそやごまかしがはびこる時、正直さや誠実さが輝きます。
にせものがあふれる時、本物が輝きます。人が信じられない時、真実な神様が輝くのです。

あなたにとって、この1年はどんな年だったでしょうか?
よい年だったと思える方、疲れること、暗いことが多かったと思う方もいらっしゃるでしょう。
けれども、神様に信頼して行く限り、闇は闇のままで終わることはありません。
必ず、闇の中に光が与えられるのです。どんな状況にあっても、一筋の光は備えられています。
ある時にはみことばを通して、祈りによって、またある時には人を通して、すべてがご聖霊の働きによって・・・。

実は、私たちが真っ暗闇だと思っているその中にも、すでに小さな光はともっているのです。
その光が私たちの目には見えないだけなのです。今は、そのことが見出せないだけなのです。
希望の光であるイエス様は闇の中に生まれてくださいました。
そのイエス様はインマヌエル(神は私たちと共におられる)と呼ばれるお方です。
私たちが闇の中を歩んでいるように感じる時にも、インマヌエルなるお方は、私たちと共にいてくださっているのです。

闇を恐れる必要はありません。
2007年、クリスマスの光であるイエス様を見つめた私たちは、皆で新しい2008年に向かって進んでいきましょう。
インマヌエルなるお方と共になら、何があっても大丈夫。
私たちといつでもいっしょにいて、導いてくださいますから。

☆牧師からのメッセージ(64)☆

わが家の秋に思い出される恵み

のぼりと教会では、毎年実りの秋のよき日に、子ども祝福式をおこなっています。
今年も教会内外から子どもたちが集まってくれて、今までの神様の導きを感謝し、神様の祝福を祈りました。
子どもたちも神様の祝福に応えて、賛美をささげてくれたり、急きょ結成した熟年の大人たちが子どもたちへメッセージ賛美を贈りました。
その夜、わが家では、現在高1の娘が小さかった頃、目のことで大変だったことを思い出していました。
その当時、家内は路頭に迷い、私は家内のケアをする中で、大きな励ましを受けたパーディグトン博士のメッセージを紹介します。
毎年、秋になるとこのメッセージから受けた恵みを思い出します。(「荒野の泉」より、一部変更)

「あなたがたのうち主を恐れ、そのしもべの声に聞き従い、暗い中を歩いて光を得なくても、
なお主の名を頼み、おのれの神に頼る者はだれか。」イザヤ50:10口語訳

「あなたがたのうち、だれが主を恐れ、そのしもべの声に聞き従うのか。
暗やみの中を歩き、光を持たない者は、主の御名に信頼し、自分の神に拠り頼め。」新改訳

暗黒な時に信仰者はどうしたらよいか。困惑と混乱、思いの暗い時に。
神のみ旨に従順に歩んでいる、忠実な信仰深い弟子にも暗黒の時は来る。
彼が何をすべきか、またいずれの方向に向かうべきかを知らない時に空は雲におおわれる。
天の明朗な光が彼の行く手を照らさない。彼は自ら暗い道を手さぐりで歩いているように感じる。
愛する者よ、これはあなたのことではないか。信仰者は暗い時にどうしたらよいか。
お聞きなさい「主の名を頼み、おのれの神に頼れ」と。
まず最初になすべきことは、何ごともしないことである。これは大変むずかしいことである。こんなことわざがある。
「あなたがろうばいさせられる時、あわててはならない。」
言葉をかえて言えば、「どうしてよいかわからない時には、何もするな」ということである。
(もちろん、み言葉を求め、祈りに祈ることはよいのですが・・・)

あなたは、霊的に霧の深い川岸を進む時、突進してはならない。
小舟を進める速度を遅くし、必要ならば、あなたの小舟のいかりをおろしなさい。
さもなければ、いかりをおろす位置に止まりなさい。ただ単純に神に信頼しなさい。私たちが信頼する時に神は働かれる。
私たちが気をもむことが、神が私たちのために何ごとかをされるのを妨げる。
私たちの思いがまどい、私たちの心が苦しみ、私たちをおおう暗黒が恐怖を持ちこむ時、
もし私たちが試みの暗さから逃げ道を見つけようとして、無用の努力を試みながら、あちらこちらと走り回るならば、
そこに神の摂理が置かれているにもかかわらず、神は私たちのために何ごともされることができない。

神の平安は私たちの思いを静め、心を休める。
私たちは子どものように自分の手を神のみ手において、愛の輝く光の中に導いていただかなければならない。
神は森から出る道を知っておられる。
私たちは神のみうでによじ登り、最も近い、そしてまた確かな道によって外につれ出していただくよう、神に信頼しよう。

☆牧師からのメッセージ(63)☆

霊的飢えかわきを!

ずいぶんと秋らしくなってきましたが、皆様お元気でしょうか?

皆さんの中で、「飢えかわき」を経験したことのある方は、どれくらいいらっしゃるでしょうか?
きっと戦中、戦後の大変な時代を経験された方は、文字どおりの「飢え」と「かわき」を経験されたことでしょう。
では皆さんの中で、霊的な「飢えかわき」を経験したことのある方は、どれくらいいらっしゃるでしょうか?
霊的な飢えかわきとは、魂がひからびてしまって神様を求めないではいられなくなる状態のことです。

いつの時代にも、霊的な飢えかわきを覚える人たちがいました。
たとえば、のぼりと教会でもよく賛美する「鹿のように」のもとになっている聖書箇所では、
「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。
私のたましいは、神を、生ける神を求めて渇いています。
いつ、私は行って、神の御前に出ましょうか」(詩篇42:1-2)。
とても切実に神様を求めています。

私たちはどんな時に、霊的に飢えかわくでしょうか?
順調に行っている時、何の不足も覚えない時、あるいは霊的な感覚が鈍っている時、
ぬるま湯につかっているような時、霊的な飢えかわきを感じません。
霊的なうえかわきを覚えるのは、私たちが試練や困難にあった時、危機的な時、逆境の時、満たされない思いが募った時などではないでしょうか。

飢えた経験のない人には、食物のありがたみがよくわかりません。かわいた経験のない人には、飲み水のありがたさがよくわかりません。
同じように、霊的に飢えかわいたことがなければ、神様のありがたさがよくわかりません。
ですから、霊的に飢えかわくことは、決して信仰の衰えではなく、私たちの信仰が成長するためにどうしても必要な一歩なのです。これは感謝なことです。

キリスト教の歴史を見ても、霊的飢えかわきからリバイバル(信仰復興)が起こりました。
神様の前に自分の足りなさを覚え、涙の悔い改めをもって、ご聖霊の新たな力を受け、信仰が新たにされる人々が起こされてきました。

霊的飢えかわきを満たすことのできる方は、お一人だけです。
「イエスは言われた。『わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、
わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません』」(ヨハネ6:35)。
霊的飢えかわきをとおして、真実な祈りが生まれ、イエス様と新たな出会いがあって、霊的に満たされることができます。
そして、私たちの魂はさらに成長し、なくなることのない平安と力が注がれます。
あなたの魂の祝福は教会の祝福です。
あなたは、霊的に飢えかわいているでしょうか?次の賛美が思い出されます。

「満たしてくださる方」 
主よ 私は 飢えかわいて 今ここに来ました
主よ あなたに 両手あげて 心からあがめます
主よ あなただけが 私を満たしてくださる方 
主よ あなただけに 賛美の歌を ささげます

☆牧師からのメッセージ(62)☆

人は変われる?!

暑〜い夏がやっと終わり、ほっと一息ですね。皆様いかがお過ごしでしょうか?

皆さんは自分の人生をふり返ってみて、「自分は変わったなぁ」と感じますか?
それとも「変わらないなぁ」と感じますか?
生まれてから何年間は、スポンジが水を吸い込むように何でも吸収します。言葉と生活習慣を身につけます。
幼稚園や学校でも多くのことを身につけ、日常生活ができるようになっていきます。
このように、若い時期は、とても多くのことを学び、人間も大きく変わりますよね。

しかし、年齢を重ねるにつれてどうなるでしょうか。
他人の言葉に耳を傾けず、新しいことにチャレンジせず、意固地になって行く人が多いと言われます。
のぼりと教会の方々には、無縁だと思いますが。

そんな私たちの価値観はどうやってつくられてきたのでしょうか。
私たちの生涯は、その時、その時でいろんな組織(集団)に属しています。
一つの家庭の中に誕生し、学校、職場、教会、結婚して新しい家庭というようなさまざまな組織を通ります。
それぞれの組織は独自の価値観を持っています。私たちは、その組織の中に置かれると、そこで重要な出会いがあります。
両親、先生、友人、同僚、教会の人たち、妻や夫といった人の影響を受けて、各々の組織が持っているのと同じ価値観を内に取り入れてきたのです。
ですから、私たちは自分が受け入れられていると感じる所で、大切な人との出会いによって、人生が変えられていくのです。

皆さんは今までどんな大切な出会いがあったでしょうか?
多くの人にとって、教会に来る最初のきっかけは、クリスチャンの友人が誘ってくれたことです。
あなたも、その友人になりませんか?あなたが誘った方の人生が、きっと大きく変えられることでしょう。
そしてクリスチャンとして、生涯にわたって神様と出会い、クリスチャン仲間との分かち合いを通して、ずっと豊かに変えられていきたいですね。

「彼(ヤコブ)はベテルで神に出会い、その所で神は彼に語りかけた。」(ホセア12:4)

☆牧師からのメッセージ(61)☆

世界宣教大会2007の恵み

8月14日から16日まで、「世界宣教大会2007」がすばらしい祝福のうちに開かれました。
同盟教団を始めた宣教師たちが最初に上陸した横浜の地に、1500名もの方々が集まり、楽しく熱い時を持つことができました。
のぼりと教会からも14名の参加がありました。特に酒井兄は全体の舞台監督の大任を引き受けてくださいました。

1.すばらしいメッセージ

メイン講師の李東元牧師は、知的かつ霊的であり、とてもユーモアのある方でした。私と同じトリニティー神学校の卒業生です。
私たちは、イエス様の情熱が伝わってくるようなメッセージを聞くことができました。
2日目の夜には、宣教の情熱とは何かについて、話されました。
それは燃えるような思いだけではなく、「どんなことがあっても変わらないこと」の大切さを教えられました。
また、世界人口の80%の人々が住む国々には、キリスト教の宣教師は入国が許可されません。
ですから、職を持って入国し、宣教するテントメーカーとしての働き人が求められています。
また、日本国内で働く人は、神様の祝福が周りに届く人になるようにとのアピールがありました。
  最終日には、マタイ9:36「また、群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた」から、
私たちはイエス様が群集をご覧になった「目」をいただき、かわいそうに思われた「心」をいただいて、まず一人の傷ついている隣人を
受け入れましょうという呼びかけをいただきました。
講師の招きに応えて、多くの人が海外へ宣教師として出て行く決心をし、その他の人々は国内へ遣わされていく思いを新たにされました。

2.いろいろなワークショップ

いろんなワークシップが開かれ、それぞれ多くの恵みを受けることができました。私は「青年宣教」のワークショップに出席しました。
部屋に入るなり、冷たい飲み物が入ったコップを手にし、ライブハウスのような雰囲気で賛美が始まりました。
楽しいゲームと、若者伝道への熱い思いが伝わるメッセージがありました。
同盟教団は今後3千人の若者が集う教団にしたいというビジョンを持っています。
子どもたちがしっかりと育ち、つながる教会を作っていきましょう。
私以外の家族3人は、「子ども伝道」のワークショップに参加しました。
そこでもすばらしい恵みをいただき、娘のまきほは星の子チャペルのお手伝いをする思いを与えられました。

3.テキスト完売感謝!

私は、教会教育部発行の子ども用受洗準備テキスト「かがやけ☆クリスチャンキッズ」の販売を担当していました。
感謝なことに最初の2日間で300部を売り切り、最終日は落ち着いて集会に参加することができました。
これからも、教会に役立つテキストづくりに励んでいきたいと思っています。


☆牧師からのメッセージ(60)☆

イメージ 変えられますか?

サッカー日本代表のオシム監督が、中田英寿選手の引退は早すぎたと思うかという質問に対して、
「彼はすでに名声を確立したスターだった。そのイメージを壊したくなかったのではないでしょうか。」
と答えました。事実はどうだったのか、本人にしかわかりませんが、「イメージを壊したくない気持ち」は
よくわかる気がしますよね。
この生き方と対照的なのが、大リーグ、パイレーツの桑田真澄投手(39歳)です。
三振にしとめられたイチローは、こう語っています。
「桑田さんは昔の自分じゃないことを受け入れられている感じがしますよね。なかなかできるものではない。
引きずるものですから。」
このように語るイチロー自身も、バッティングフォームを柔軟に変えてきました。
「だって、バッティングは生き物ですからね。その時の体の状態によっても変わってくる。たとえば筋肉のつき方
によって、当然、スイングは変わってきます。つまり、一箇所にとまっていることはできないんですよ。」
(朝日新聞2007.6.22と26)

誰もが、自分の昔のイメージ、特にうまくいった時のイメージを引きずるものではないでしょうか。
過去の成功経験は、自信になります。自分を支えてくれます。けれども、過去のイメージだけにとらわれていると、
なかなか新しいことにチャレンジできません。自分の殻を破ることができません。古き良き時代の中に安住するか、
過去の思い出の中で生きることになってしまいかねません。

子育てでも、同じです。
「私はこう育てられたから・・・!同じようにすればいい。」
「上の子はこの育て方、あの愛情に伝え方でよかったから・・・!」
「この方法で育てれば、私のイメージどおりに・・・!」などと考えがちです。
私たちはいろんな不確かなイメージにとらわれて、なかなか自分を前に進ませようとしません。

聖書は、私たちにどのような生き方を勧めているのでしょうか。
パウロは言います。
「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、
主と同じかたち(イメージ)に姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」第2コリント3:18

イエス・キリストを信じる者は、過去の姿を取りのけられていきます。ちょうど月が太陽の光を反映させて輝いているように、
神様の栄光を反映させながら、少しずつ少しずつイエス様と同じイメージに変えられていくのです。何とすごい約束でしょうか。
この私の!あなたの!内面、本質が少しずつであっても変えられていくのです。私たちの心、思い、考え、生き方が変えられていくのです。
これはご聖霊の働きです。イエス様を信じる人たちは、誰もがイエス様のイメージに向かって変えられていく過程にあるのです。
ですから、私たちは過去にとどまっていることはできないのです。
過去のイメージを守るよりも、よりイエス様に近づく未来のイメージに向かって進んでいきましょう。
自分の働きも、子育ても、主イエスのイメージを見つめ続けて・・・。




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